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世界的メイクアップアーティスト、リンダ・カンテロの信条とは?

2017年10月13日 公開

ジョルジオ アルマーニ ビューティのインターナショナルメイクアップアーティストであり、世界的なトップアーティストでもあるリンダ・カンテロが来日。彼女とのブレックファーストミーティングに参加してきました。

 

リンダ・カンテロは、90年代後半にカネボウのテスティモのCMで、女優の小雪と競演。そのCMでは、アイメイクを“指塗り”で、しかも濃密なネオン発色で仕上げるという、当時としてはセンセーショナルなテクニックとメイクアップでインパクトを与えたことから、覚えている人もいるかもしれません。

 

彼女は当時からVOGUEの表紙をはじめ、多くのファッション誌のカバーを担当し、2000年には“The Legendary Linda(伝説のリンダ)”という特集がアメリカンVOGUEで組まれるほどにカリスマ的存在に。さらに、トム・フォード時代のグッチのコレクションでは、スモーキーアイやニューヌードなど、数々の新しいスタイルを創出。現在はジョルジオアルマーニで数多くのクリエーションを手掛けています。

 

前置きが長くなりましたが、そんな彼女とのミーティングで、どうしても質問したかったことがありました。それは、「メイクアップ業界で世界的なフロントランナーとして活躍し続けるうえで、心掛けていたのはどんなことか?」という質問。

 

つい先日、ヘアスタイリストのカリスマである、故・須賀勇介さんに師事していた、ヘアメイクアップアーティストの水島裕作さんと話をしていた時、須賀さんは「常に一流の環境に身を置くこと」を心掛けていたということを知り、リンダさんはどんなことを意識していたかに非常に興味を持っていました。

 

ただ、超多忙なリンダさん。当日は質問の答えを聞く間もなく、ミーティングはタイムアップとなってしまいましたが、なんと! 後日、この質問にメールで答えてくださり(しかも、とても丁寧に!)。しかも、それが非常に胸熱なメッセージでしたので、ぜひここにご紹介したいと思います。

 

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Q.質問

リンダさんがメイクアップアーティストとして、この業界で活動するにあたり、心掛けていたこと、信条を教えてください。

 

Please tell us what you were aiming for, and your beliefs when playing a significant role as make-up artist.

 

A.

20代半ば、私はファッションシューティングの中心であったNYへ移ろうと友人と話し合って決めました。その時まで、私はイギリスのいくつかのそれほど有名ではない雑誌の仕事をしたことはありましたが、ブリティッシュVOGUEのような有名な雑誌はまだ手掛けたことがありませんでした。

 

その後、NYに到着してから、以前会ったことがあるエージェントに電話をして、彼に「次の月曜日に、これからの仕事を打ち合わせをしたい」と伝えました。すると、彼は私に言いました。「その必要はないよ。すでにあなたにはビューティページの仕事が入ってる。アメリカンVOGUEだよ。フォトグラファーはアーヴィング・ペン、ビューティエディターはアンドレア・ロビンソンだよ」と。

私はもう信じられない気持ちで。 すぐにショッピングに出掛けて、所持金のすべてで新しい化粧品に費やしました(笑)

 

そのビューティページでは、私は依頼されたとおり、とてもナチュラルなメイクアップを施しました。すると、アーヴィング・ペンがモデルの顔に泥を投げつけたのです!

 

つまり、彼らはメイクアップが泥だらけになっても気にしない、フレッシュで若いメイクアップアーティストを探していたのです。エディターのアンドレアはとても申し訳なさそうにしていましたが、私はアメリカンVOGUEとアーヴィング・ペンのために働けてとてもハッピーでしたし、彼女は私や、私の友人のヘアスタイリストであるサム・マックナイト(世界的に有名なヘアスタイリスト)がとても清々しい気持ちでいたことに気づいていたと思います。

 

その後、アンドレアは私たちを“採用”してくれました。それからは、VOGUEと多くの仕事をはじめることになりました。私のキャリアを誰かのおかげとするならば、それはビューティエディターのアンドレア・ロビンソンですね。

 

これらの出来事からの私が学んだことは、私たちは常に謙虚な姿勢でいること、そして誰に対しても親切であることです。だって、ハプニングに見える出来事でさえ、どう転じるのか誰にもわからないのですから。

 

 

原文:

When I was in my mid 20s I decided with my friends to move to NYC as at the time it was the center of the fashion photography universe.

 

Up until that time I had just done a few British editorials for minor magazines but had not yet worked for British Vogue.

 

I arrived in NYC and called my agent, who I had met before on another trip, and told him I wanted to fix up a rendez-vous to sort out my work visa on the following Monday. He then told me: “no, you have a beauty story, American Vogue, Irving Penn, and editor Andrea Robinson”.  Can you imagine? I went out and spent all my money on new makeup .

 

At the job, I did a very natural makeup as asked and then Mr Penn threw mud all over the models face !

 

Of course, they were just trying out a new young makeup artist who would not mind their makeup was destroyed by thick mud. The editor was very apologetic but I was just so happy to work for American Vogue and Irving Penn that I guess she found my attitude (and my friend Sam Mcknight, the hairdresser), very refreshing.

 

So after that she “adopted” us , and we started to do lots of things for Vogue. If I owe my career to anyone, it’s to Andrea Robinson.

 

I think the lesson from this is always stay humble and be kind to everyone as you never know how things can turn out.

 

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最後の答えにあった「Stay humble and be kind to everyone~謙虚であること、誰に対してもやさしくあること」とは、仕事をしていく上では基本のことかもしれません。でも、彼女は“メイクアップ(そしてヘアも)を泥だらけにされた”ことから、この教訓を学んでいます。

 

アメリカン・VOGUEの初仕事、そして一流のフォトグラファーとエディターに囲まれたなかで、しかもメイク製品も新調して挑んだ撮影で、こんな仕打ちを受けたら、どう考えても凹むを通り越して、ショックのあまり呆然としてしまうかもしれません…

 

そんな強烈な経験(人によってはトラウマになるでしょう…)から学びを得られるとは、も

はや感服するしかありません…。

 

こんな境遇をいきいきとした闊達さで乗り切り、糧にしてしまうリンダさん。メンタリティの強さ、たくましさはもちろんのこと、これらのハプニングを受けとめるだけの度量のあること。そんな“許容力”とハートがあるからこそ、彼女はフロントランナーとして業界で活躍しつづけられるのでしょう。

 

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